映画『ブルータリスト』は、ホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トートの30年にわたる人生を描く重厚なヒューマンドラマです。戦争の爪痕を抱えながら異国アメリカで新たな人生を切り開こうとする男の葛藤と再生の物語が、豊かな映像表現とともに繰り広げられます。監督はブラディ・コーベット。主演はアカデミー賞俳優エイドリアン・ブロディで、フェリシティ・ジョーンズ、ガイ・ピアース、ジョー・アルウィンといった名優たちが脇を固めています。
本作はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞でも複数の部門にノミネートされるなど、国際的な評価を得ています。戦後の移民問題、アイデンティティの揺らぎ、家族との断絶と再生といった普遍的テーマを、高度な映画表現で描いた本作は、まさに現代の叙事詩とも呼べる作品です。
あらすじ
1940年代後半、ホロコーストから生還したラースロー・トートは、家族と引き離されたままアメリカ・ペンシルベニアへ渡ります。過去の傷を抱えながらも、新たな土地で建築家として再出発を試みるラースロー。そんな彼に、ある有力実業家から、モダニズム建築の象徴となるような礼拝堂の設計依頼が舞い込みます。報酬の代わりとして提示されたのは、疎開中の妻エルジェーベトと姪ジョーフィアのアメリカ移住の支援でした。
ラースローは、異国の文化と価値観のなかで自らの理想を貫こうとしつつ、家族との再会を目指します。しかし、建築家としての信念、依頼主の意向、社会の偏見、そして過去の記憶が複雑に交錯し、彼の人生は思わぬ方向へ進んでいきます。彼が築こうとしたのは、単なる建造物ではなく、自らの再生を象徴する“祈りの空間”だったのです。
登場人物とキャストの見どころ
- ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ):主人公。ホロコーストから生還し、建築家としての矜持を胸にアメリカで再出発する。静かな演技の中に情熱と痛みを湛えたブロディの演技は圧巻。
- エルジェーベト・トート(フェリシティ・ジョーンズ):ラースローの妻。離れ離れの生活を送りながらも、夫への信頼と自立した強さを併せ持つ。
- ハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース):礼拝堂の依頼主。理念と野心の間で揺れる複雑な人物。
- ハリー・リー・ヴァン・ビューレン(ジョー・アルウィン):ハリソンの息子。若さゆえの未熟さと自我の目覚めが父子関係に波紋を呼ぶ。
- ジョーフィア(ラフィー・キャシディ):ラースローの姪。彼にとって過去と希望の両方を象徴する存在。
映画の演出と技術的特徴
『ブルータリスト』は、その構成・映像・音響・編集すべてにおいて実験的でありながら洗練された表現がなされています。物語は章立てで進行し、時間軸と視点が変化していく構造になっており、観客は主人公の内面を追体験するような感覚に陥ります。
映像は35mmフィルムによるヴィスタビジョン形式で撮影されており、ブルータリズム建築の冷たさと厳しさ、そして内面の感情との対比が巧みに表現されています。光と影の演出は特に見どころで、屋内シーンでは光の入り方ひとつで空間の緊張感が変化し、建築と感情が連動していることを感じさせます。
また、中盤には15分間のインターミッションが用意されており、前半と後半で色調・テンポ・音楽が明確に変わるなど、映画全体の構成そのものがひとつの建築物のように緻密に設計されています。
監督と制作チームのこだわり
ブラディ・コーベット監督は本作でさらなる評価を高めました。俳優からキャリアをスタートし、映像作家としての才能を開花させた彼は、社会的テーマを哲学的かつ美術的に描くことに長けています。
共同脚本はモナ・ファストボールド、撮影はロル・クローリー、音楽は現代音楽作曲家ダニエル・ブランバーグが手掛けました。建築監修として実在の建築士が加わり、礼拝堂を含む主要建築物は実際に模型を起こしながらデザインされたという徹底ぶりも話題です。
制作の裏側と逸話
撮影は33日間という短期間で実施され、予算も1000万ドルという限られた範囲ながら、フィルム撮影による質感の再現、建築物の造形、1950~70年代の衣装と美術に細心の注意が払われました。
主人公ラースローのキャラクターは、実在のユダヤ系建築家たちのエピソードを集めたオリジナルフィクションとして構築されています。その中には戦後すぐにアメリカで活躍したモダニズム建築家の思想が色濃く反映されています。
関連作品と代表作
- 『ポップスター』(ブラディ・コーベット監督):少女のアイドル化と社会の狂気を描いた前作。
- 『戦場のピアニスト』(エイドリアン・ブロディ主演):ホロコーストをテーマにした代表的作品。
- 『博士と彼女のセオリー』(フェリシティ・ジョーンズ出演):人物の内面と科学の融合を描く伝記映画。
- 『メメント』(ガイ・ピアース主演):記憶を失った男が自らの真実に迫るサスペンス。
- 『ザ・サーペント』(ジョー・アルウィン出演):現代社会に潜む不安と青年の孤独を描いた作品。
おわりに
『ブルータリスト』は、ひとりの男の人生を通して、建築、家族、戦争、信念といった普遍的なテーマを力強く描いた作品です。美学と人間性を両立させたその表現は、観る者の内面を深く揺さぶり、多くの示唆と感動をもたらします。
建築に関心のある人だけでなく、歴史、倫理、芸術に触れたい全ての人にとって、本作は必見の一本です。
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